よしくんのぱくぱく日記

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即位礼正殿の儀で思ったこと

令和元年1022日、皇居『松の間』に設けられた『高御座(たかみくら)』で天皇に即位したことを宣言する即位礼正殿の儀が午後1時から執り行われました。朝からずっとテレビで見ていて、今か今かと待っていました。13時になってもまだ天皇陛下の姿を拝見できず、1317分ごろでしょうか、鉦と呼ばれる太鼓のようなものの合図で参列者一同起立し、高御座の帳が開けられ、黄櫨染御袍をお召しになられた天皇陛下がそこにおられました。同時に隣の御帳台の帳も開けられ、その中に雅子皇后陛下のお姿がありました。萬歳とい書かれた旗がお庭に掲げられておりました。

 

そして、侍従長天皇陛下に歩み寄り、笏をお預かりして、お言葉が書かれた紙を手渡されました。天皇陛下がその紙に書かれたおことばをお読みになりました。御父上である上皇陛下と同様、国民に寄り添いながら象徴としてのつとめを果たす、という内容でした。

 

それから安部晋三内閣総理大臣天皇陛下の前に参進し、寿詞(よごと)を述べられました。事前に天皇陛下のおことばをうかがっていたのか、おことばを受けた内容でした。そして、安部首相が即位を祝して万歳を三唱し、参列者も唱和しました。そのあとに、北の丸公園自衛隊による21発の皇礼砲が打たれました。解説者によると21発が最高で違った場面では19発の時もあったりするそうです。

 

安部首相が所定の位置に戻り、参列者が鉦の合図で着席し、高御座と御帳台の帳が閉められ、天皇陛下皇后陛下が高御座と御帳台から降りられ、天皇陛下から松の間から退出され、皇后陛下が松の間を退出された瞬間に即位礼正殿の儀が終わったということになるそうです。

 

皇后陛下雅子様は髪形は御垂髪(すべらかし)で、十二単をお召しになられ、雅子様おしるしであるハマナスが描かれていたそうです。手には檜扇をお持ちでした。

 

天皇皇后両陛下は即位礼正殿の儀に先立ち、午前中に賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」と「皇霊殿神殿(こうれいでんしんでん)に奉告の儀」という極めて重要な儀式に臨んでおられました。それらの儀式は、皇居の中でも特に森深いところにある「宮中三殿」という場所で行われたそうで、神聖で神秘的なその場所は、一般の人には非公開だそうです。「宮中三殿」というのは賢所(かしこどころ)、皇霊殿(こうれいでん)、神殿(しんでん)の3つを指し、総称として『賢所』と呼ばれることもあるそうです。テレビでは賢所と言っていました。

 

賢所大前の儀」と「皇霊殿神殿に奉告の儀」とは、即位礼を行うことをそれぞれに奉告する儀式であり、この儀式に際し、天皇陛下は純白の神事服を、皇后は純白の十二単をお召しになり臨まれるそうです。確かに天皇陛下皇后陛下も扉のようなところに入るところは映し出されましたが、入った後のご様子は映されなかったのでなぜ入るところだけ写すのだろうと不思議に思っておりましたが非公開の場所だったのですね。一般に非公開というだけでなく、関係者も中を覗くことはおろか前を横切ることも厳禁なのだそうです。そして、賢所の参拝では拍手を打たないのが作法なのだそうです。

 

この「賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」と「皇霊殿神殿(こうれいでんしんでん)に奉告の儀」の時は大雨で風も強かったので両陛下に雨がかかってしまったかもしれませんが、即位礼正殿の儀が始まる13時頃には雨もすっかり上がり、虹まで出たそうです。大雨も虹を演出するための伏線だったのかもしれませんね。

 

私は雨ということもあり、1日テレビで拝見したのですが、たくさんの人が沿道で両陛下の乗られた車に手を振り、両陛下も笑顔で手をお振りになっているのを見ると行けばよかったなぁと思いました。また、号外も配られたそうでいただきたかったなぁとも思いました。友人が明治神宮御朱印をもらいに行ったそうで、私の分ももらってくれたそうでうれしいですね。

 

それにしても雅子皇后陛下の立ち振る舞い、笑顔は神々しくて見とれてしまいますね。適応障害は続いているのかもしれませんが、これだけの外国要人と外国語で話す機会があり、外交官時代の楽しさを思い出してこれからどんどん御病気はよくなるのではないかと思っております。天皇陛下は幼少時より帝王学を学ばれたと思いますが、雅子様はご結婚後に皇室としてのお立場を学ばれて、これだけ神々しいご対応をすっかり身につけられて、雅子様皇后陛下になられて本当に良かったと思います。

 

天皇陛下皇后陛下、ご即位本当におめでとうございます。